最高裁判所第二小法廷 昭和56年(あ)1006号 決定 1983年6月30日
本籍
熊本県上益城郡甲佐町大字吉田二〇六番地
住居
熊本市本山町六三五番地
第一相互経済研究所会長
内村健一
大正一五年六月一五日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五六年五月二七日福岡高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人東徹、同淺見敏夫、同中村尚彦の上告趣意第一点は、判例違反をいう点を含め、実質は、事実誤認、単なる法令違反の主張であり、同第二点の一は、判例違反をいうが、原判決は所論の税務職員らの調査についてその適否を判断しているものではないから、所論は前提を欠き、同第二点の二は、判例違反をいうが、原判決は所論指摘の判例を引用しこれに則って判断していることが判文上明らかであって、所論の実質は、被告人の税務職員らに対する答弁及び確定申告が所得税法二三八条一項にいう「偽りその他不正の行為」にあたらないとの単なる法令違反の主張及び事実誤認の主張にすぎず、同第三点は、単なる法令違反、量刑不当の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 牧圭次 裁判官 木下忠良 裁判官 監野宜慶 裁判官 宮崎梧一 裁判官 大橋進)
○上告趣意書
被告人 内村健一
右の者に対する所得税法違反被告事件について、左記のとおり上告趣意書を提出します。
昭和五六年一二月二八日
弁護人 東徹
弁護人 浅見敏夫
弁護人 中村尚彦
最高裁判所
第二小法廷 御中
記
第一点、原判決は、種々理由を掲げ、「本件当時の第一相互経済研究所(以下第一相研と畧称する)は社団といい得るような実体を全く欠如していたことが明白であり、第一相研は被告人が本件各会を運営するうえでの名称にすぎなかったものとしか考えられない。このような実質が全く個人企業と認められる当時の第一相研については、権利能力のない社団の胎児というような概念を入れる余地はなく、したがって第一相研は被告人個人の事業であり、本件入会金は被告人の所得である。」旨を認定した。
しかしながら右の入会金は第一相研の所得であって、被告人の所得でないことが明らかであるにも拘わらず、これを被告人の所得とした原判決の右認定には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するもので到底破棄を免れえないものであると思科する。
一、そもそも裁判所が起訴事実を認定するに当り、有罪判決をするにつき障害となる有力かつ重要な証拠物が一つでもあれば有罪とすることができず、“疑わしきは被告人の利益に従う”という鉄則に従って無罪判決をすべきものである。しかるに本件において右の“有力かつ重要な証拠物”が四個も存在する。すなわち第一相研が設立されてから間もなく本部社屋となすべく買収した福田ビルに関する
1、昭和四二年七月十日付不動産売買契約書(甲二-二九五、別添写(一))
2、 同 年八月八日付不動産売買契約追認書 (右同、 右同 (二))
3、 同 年八月一四日付不動産売買契約公正証書(右同、右同 (三))
計三通、(これらの書類は、昭和四五年七月末、第一相研に臨戸した熊本税務署の小畑調査官等に提示され、更に昭和四六年六月五日熊本国税局査察官に押収され、検察官の捜査検討を経て現在裁判所に押収されている。)及び昭和四五年七月九日最初の研修保養所として九州相互銀行から買収した玉名研修保養所の建物に関する売買契約書一通(甲二-二一八、別添写(四))がそれである。
二、次に右四通の書面につき説明を加える。
1、(一)、前記一の1の売買契約書をみると、買主は一旦「内村健一」と記載されたものを「第一相互経済研究所、親しき友の会」と訂正され、売買代金は八千万円で所有権移転の時期は移転登記の時とし、登記手続は売買代金完済と同時とされ、買主としては第一相互経済研究所親しき友の会代表者内村健一の署名押印があり、更に立会人として、本田敏雄、東大森政士、桜木岩夫、追加立会人として中谷正次郎の署名押印がある。
前記一の2の追認書をみると、冒頭に売主、買主、立会人三名会合の上追認事項をとり決めたとし買主については第一相互経済研究所親しき友の会代表者内村健一と記載があり、代金支払の条件を改訂した上でその第八条に
右(1)の売買契約書において買主を第一相互経済研究所親しき友の会代表者内村健一と表示しあるも本契約につき公正証書を作成する場合は都合により買主を内村健一個人名にて表示するものとする
との記載があり、これに買主第一相互経済研究所親しき友の会代表者内村健一の署名押印、立会人として本田敏雄、東大森政士、中谷正次郎、桜木岩夫の署名押印、更に連帯保証人として内村健一の署名押印がある。前記一の3の公正証書は公証人山下辰夫が作成したものであるが、買主を内村健一とし、その第十七条二項に「本件不動産売買契約書において買主を内村健一とするが、元来買主は第一相互経済研究所親しき友の会代表者内村健一とすべきところ本契約につき公正証書を作成するに当っては都合により買主を内村健一個人にて表示するものとする」旨(2)の追認書と同一文言の記載があり、内村健一の署名押印がある。
右三通の契約書により、福田ビルを買収するについて被告人は第一相研の代表者として会員本田敏雄、東大森政士、中谷正次郎三名の立会いを求め、同人等立会の下に売買の交渉をなし契約を締決したものであること、買主の表示を内村健一は誤りであるとして第一相互経済研究所親しき友の会と訂正させていること、公正証書の作成について買主の表示を第一相互経済研究所親しき友の会代表者内村健一とすべきものを都合により内村健一個人名で表示するものであること、追認書において被告人は個人として連帯保証人になっていること
等が認められるのである。
(二) 被告人は右の福田ビル買収問題について、
(1) 昭和四十五年七月来訪した熊本税務署の小畑調査官等に対して前掲公正証書を示して福田ビルの買収について公正証書上の買主名儀、移転登記の名儀は内村健一となっているが事実の買主は第一相研である旨答弁していることが認められる。(第一審一-五〇〇熊本税務署長作成調査資料送付書及び原審一-五〇一熊本税務署長作成調査事績送付書の記載)
(2) 本件にて勾留中の昭和四十七年三月六日検察官に対し
「公正証書は私が公証人に申し出て記入して貰ったものであり、この建物は第一相研の所有であって私個人の物でないことを会員にはっきりしておきたい気持で記載してもらったものである旨」供述しており(同日付検査官調書)更に第一審第四十四回公判において、「登記をする場合に私個人の名前で登記しなければならないということが心配であったので、登記面には出さなくてもせめて公正証書を作っておけばよかろうと思った。買収する福田ビルは第一相研の物であって私個人の物でないことをはっきりしておくためにやったことである。」旨陳述しており(490問答)右諸点は第一審証人中谷正次郎、桜木岩夫、原審証人小畑和生、本田敏雄の各証言もこれを裏付けている。
(三)、右の一連の措置は法人格のない第一相研としては、取得した不動産の登記名義について不動産登記法上、代表者の個人名義によらざるを得ないので、その対策として第一相研の会員である本田敏雄、東大森政士および第一相研設立時からの協力者であり、第一相研の幹部職員である中谷正次郎の立会の下に、被告人個人と第一相研とを明確に区別して真の所有者は第一相研であることを明白にしようとした被告人らの配慮にもとづき行なった処置なのである。そして前記追認書八条及び公正証書一七条二項の各記載は公正証書作成についても第一相研が法人格がないため第一相研の買主名義では公正証書が作成できないので、やむを得ず被告人個人の買主名義で公正証書を作成する旨を念のためそう入したものである。以上のことからして、福田ビルの所有権は第一相研に帰属し、被告人個人に帰属しないことが明瞭である
2、昭和四五年七月九日に購入した玉名研修保養所の売買契約書にも「第一相研はいわゆる権利能力なき社団、人格なき社団であるから、前条記載の本件不動産の所有権移転登記手続については第一相互の代表者たる内村健一個人を登記権利者として… 」と明記し、被告人個人は連帯保証人となっており、右建物等が被告人個人のものではなく第一相研のものであることを明確にしているのである(内村の同第四回公判供述494~500)。
この点に関し、売主九州相互銀行の当時の熊本支店長であった坂本敏は第一審公判廷において、「買うことについては、これは内村個人じゃないんだとそういう従業員、会員というものがあって、会員全部とおっしゃったかどうかわかりませんが、そういう多くの人のためのものであるから、自分個人としてはされないんだというようなことでございまして、契約は第一相互経済研究所々長内村健一というようなことがございましたので、事実私はその第一相互経済研究所が登記もされていないのを知っておりましたし、果たしてそれで登記できるだろうかということ、しかし実態を見ますと実際に入ってきた会費というものは内村さん個人がポケットに入れてるわけじゃありませんしそういう物件の購入なり、あるいは運営費といいますか、そういうものに充てられていっておりますし、内村さんの生活状態を見てもそんなぜい沢でもないし、自動車とか何とかはあるいは少し大きかったかも知れませんが、そういうことからなる程なと思いまして本店に電話で連絡をとりまして係りの方にこういうことだが看做す法人的なものでできないかということで契約書を本店で作ってもらうことにいたしました」と契約書作成経過について証言している(同第四〇回公判証言2646)。そしてさらに又「内村さんとの話を、やっぱり私も時々お伺いしておりましたので、そういうやり方を見ておって、確かに個人じゃないんだなといって登記された法人でもないなということからそういうこと(看做す法人)を感じました」と証言しているのである(同28)。これが具さに第一相研を外部から見ていた者の第一相研に対する理解であったのである。なお、それ以後の研修保養所については、契約書を作成せず現金取引であったため、右趣旨の契約書は存在しないが、考え方は全く同様である。
3、前述した福田ビル並びに玉名研修保養所の買収に関する計四通の契約書等について、検察官はこれを完全に無視する態度をとり、第一相研は被告人の個人事業の仮称であると主張している。
(一)、ところで、右不動産は、いずれも第一相研に納入された入会金によって買収された資産であるので、この資産が第一相研に帰属するということはおのずから入会金も第一相研に帰属する収入ということにならざるを得ない。そのことは入会金が被告人個人の収入でないことを意味し、第一相研運営の事業が被告人個人の事業ではないことを認めざるを得ないことになる。
逆説的に申せば第一相研は被告人の個人事業の仮称であり入会金収入は被告人個人に帰属するものであるとしならば、右一連の売買契約書は被告人個人の資産を別人格である第一相研の資産であるかの如く仮装するものであり延ては被告人の個人事業を第一相研の事業であるかの如く仮装する行為とみざるを得ないことになる。この事実が立証されれば被告人の行為は、事業主体を仮装し、収入の帰属を仮装したものとして当に所得税逋脱犯の構成要件である偽りその他の不正行為に該当し、昭和四十三年度から同四十五年度まで全期間いずれも逋脱犯として起訴し得ることになる。検察官はこれらの契約書を押収しており、また前掲熊本税務署長作成名儀の第一相研調査資料送付書、調査事績送付書等により被告人の主張を熟知していた筈であるからこの契約書のもつ意味を十分検討しなければならないことは当然であるのに、契約立会人である本田敏雄、東大森政士、桜木岩夫の取調べもせず、中谷正次郎の取調べについてもこの関係の供述を全く求めていない。これは何を意味するのか、本件調査、査察、捜査を振返ってみると、
(1) 昭和四十五年七月下旬小畑調査官等に対して第一相研の調査を命じた柳田副署長の指示は「内村健一の所得調査、源泉税の調査、資料収集をせよ」ということであったという。(原審証人小畑和生等調査官の証言)
(2) 昭和四十六年三月十五日第一相研に来訪した柳田副署長は被告人に対して「法人でなければ個人である。被告人個人として確定申告をされたい」と被告人名儀の申告を慫慂したという。
(3) 昭和四十六年六月五日熊本国税局査察官による強制調査は被告人に対する所得税法違反容疑であった。
(4) 昭和四十七年二月十六日被告人は所得税法違反の容疑で逮捕勾留され翌三月七日同法違反として勾留のまま起訴されたものである。
(二)、このように当時の経過を振返ってみると本件調査、査察、捜査は第一相研とは被告人個人の事業であるときめてかかり、その線で推進された疑いが極めて濃厚である。若し第一相研が被告人個人の事業でないとしたならば当時の第一相研は人格なき社団としては未完成であり、納税義務の主体たり得るかが問題であり、仮に該当するとしても収益事業を営まないことには納税義務が発生しない等極めて困難な問題が起るからである。
さればこそ個人事業と認定するについて障害となる物証や供述を極力黙殺したと考えざるをえない。
4、しかしながら、被告人及び弁護人としては、仮に右のような捜査、立証の経過であったとしても、裁判所だけは公正に判断されるものと信頼して主張立証をしてきた。ところが原審は前記四通の不動産売買契約書等は、「いずれも被告人の事業の本質をカムフラージュし、これに対する世間からの批難を回避するためであったといっても過言でない」とか、第一審と同様「被告人自身の日常生活上の財産と事業財産とを便宜上区別するためであった」と説示している。
右のような解釈は厳然として存在していて否定することのできない証拠物である右の四通の書面に対する余りにもひどいわい曲的解釈というべきである。ことに後者の「被告人自身の日常生活上の財産と事業財産とを便宜上区別するためのものであるという解釈にいたっては全く何のことやら分らないというの外はない。原審はなぜもっと謙虚な無我無心の立場に立って右四通の書面をすなおに解釈しようとしないのであろうか。良識ある者がすなおに右四通の書面を読めば何人も右の福田ビルや玉名研修保養所の建物が第一相研の所有であって被告人個人の所有でないことが容易に理解し得る。しかるに原審が偏見をもって右のようなわい曲した解釈をして第一審判決を維持しようとしているのは、まさに、裁判所のもつ重大な職責、使命を抛棄したものでこれでは、裁判所の存在理由がないと断じても過言ではないというべきである。
5、(一)、右の四通の書面につき、弁護人は、原審において重要な争点として控訴趣意書で取り上げていたが、一件記録によって明らかなとおり、原審は審理に当り、これらの書面を第一審の熊本地方裁判所から取り寄せてもいなかった。そして立会人である本田敏雄の証人尋問の際に、弁護人の指摘によって始めて取り寄せの手続をなし、同証人の第一回の尋問の際には弁護人の所持する写しをもって尋問を済ませ、現物の取り寄せ後、同証人を改めて尋問するという手順をふんだのである。このような原審の態度をみると原判決には、「記録、証拠物を検討すると」などと説示されているが、このような非常に重要な意味をもつ証拠物すら取り寄せてなかった原審が果して真実を見極めることができたであろうかと甚だしい疑問を拘かずにはおれないのである。
(二) 福田ビル買収に際して作成された三通の不動産売買契約書等については時期的にみても、原判決の認定が何如に偏見に満ちたものであるかは明白である。即ち、第一相研の設立は昭和四二年三月であり、最初に作成された不動産売買契約書は、同年七月一〇日と設立後間もなくの時期である。ところで、第一相研に対する税務署の調査は、同月二七日熊本国税局直税部法人税課課長補佐柳田泰信の指示を受けて、熊本税務署機動調査係長宮本富士夫が第一相研は個人か法人か、従業員の給与の源泉徴収はどうなっているのか、福田ビル入手の事情等を調査に来たのが最初である。そして、この調査は新聞社より右柳田に照会があった結果なされたというのである。従って税金対策等のために税務署等の調査に備えてなされたものでないこと勿論である。更に、同年八月八日付にて締結された前記不動産売買契約追認書の記載から明らかなとおり、第一相研では、入会金の収入も思うにまかせず、売買代金が当初の約束どおり支払うことができなかったので、その支払方法を変更しているのである。従って第一相研が、当時運営していた講「親しき友の会」は期待した程発展していなかったのである。かように、一連の不動産売買契約書等を作成した当時、第一相研の事業は、行先どうなるのか全く見当もつかない草創期であったのである。このような時期に、「被告人の事業の体質をカムフラージュし、これに対する世間からの批難を回避するため」など考える筈がない。
右のような作成の日時、背景を考えれば、前記原判決の解釈など成り立つ余地は全くないのである。
(三) 更に原判決は、前記のとおり、右公正証書等について、第一審の「被告人自身の日常生活上の財産と事業用財産とを便宜上区別するためであった」の認定をそのまま踏襲し、弁護人の証拠に基づかない認定であるとの批判に対し、「被告人の検察官に対する供述調書中には同趣旨の供述部分があり、全く証拠に基づかない認定とはいえない」と判断している。
しかしながら、被告人の検察官に対する供述調書(以下検面調書という)のどの部分にそのような趣旨の供述記載があるのか甚だ疑問である。被告人が公正証書の作成経緯について触れているのは、多数ある検面調書中、第九回検面調書(47・3・6付)の四項に、僅かに四頁半の記載があるだけである。この供述部分に、前記した公正証書一七条二項の記載内容について前掲の「公正証書は私が公証人に申し出て記入して貰ったものであり、この建物は第一相研の所有であって私個人としてのものでないことを会員の人にはっきりしておこうという気持からこの記載をしてもらったのでした」との供述記載があり、それに引続いて問答式で「先に述べた公正証書の表現は、第一相研に集った資金を会員のためになるようなことに運用していくという私の心構えを明らかにしたものでした」との訳の解らぬような供述記載があるだけである。そしてこの問答式の供述記載部分については、第一審の第四五回公判において「なんのことかさっぱりわかりません。私が申し上げた言葉は、その最初読まれたほう(「公正証書は私が公証人に申し出て言々」の部分)に書いてあるような気がしますけれども、あとのくだりはさっぱり見当がつきません」と述べているのである(235 問答)。このように原判決が認定しうるような供述記載は被告人の検面調書のどの部分にも存しないのである。
6、以上の次第で福田ビル買収に関する不動産売買契約書等計三通及び玉名研修保養所に関する売買契約書一通によれば、右各不動産が、いずれも被告人とは人格を異にする第一相研が買受けたものであり、その所有権は右第一相研に帰属するものであることが明々白々である。しかるに原判決がこれに眼を蔽い、前記のように独断と偏見に満ちた解釈の下に右の二個の建物等がいずれも被告人個人の所有で、第一相研の所有でないとし、ひいては、第一相研に対する入会金が被告人個人の所得であると断じているのは、最高裁判所第三小法廷が、昭和二三年一一月六日、刑事訴訟法第三一八条に定めるいわゆる自由心証主義についてなした「証拠の取捨選択及び事実の認定は、事実審裁判所の専権に属するが、それが経験則に反してはならない」という判例(昭和二三年(れ)第七九九号事件、刑集二巻一五四九頁)に真正面から牴触する甚しい経験則違反であるというべく、この一事をもってしても、原判決にはこれを破棄しなければ著しく正義に反する事実誤認があるという他はないのである。
三、以上るる述べたことにより、本件入会金は、第一相研の所得であって、被告人個人のそれでないことが明白であると断ずるものであるが、念のため蛇足をかえりみず、第一相研の設立の経緯、その思想、性格等について説明を加え、もって本件入会金が第一相研の所得であることをさらに立証することとする。
1、第一相研と天下一家の思想
(一) 天下一家の思想とは、被告人と同村の甲佐町の出身である西村展蔵(教育界から出た思想家で亜細亜兄弟運動を展開して上海大道政府を樹立し、昭和一八年には、内閣中央委員に列し終戦後は郷里に戻って自宅を開放して塾となし、或いは各地を遊説して、世界人類の平和と幸福を願う運動を続け、昭和三七年歿した。その門下には終戦時内閣書記官長であった迫水久常氏等がいる。)提唱にかかるものであり、神武天皇の八紘一宇の精神に発想し、地上が一家となって始めてそこに平和があり、総てが一家の姿をなして始めてそこに平和がくることを信じ、その実践として、「他のために総てを捧げる一家の道徳は物を捧げる誰も彼もこの心になると不平がなく感謝の念に満つるものである」と説いており(同氏著述、世界建設の大道)その思想の根底を流れる理念は「心、和、救け合い」であると説かれている。また西村氏は阿蘇幣立神宮の信奉者であった。それは幣立神宮が神武天皇御東征の基点であり、天皇の八紘一宇の精神につながる五色の神面を保存し、地球上の人類五族が一体となる基点であることによるという。
(二) 被告人は、昭和一七年御船中学在学当時西村氏の講演を聞いて深く感銘し、終戦後は毎月一八日夜西村塾に出席して講話を受け昭和二三年三月妻英子との結婚に際しては、同氏の媒酌を受け、爾来親族同様の交際と指導を受けたのである。昭和三五年出身地甲佐町長の腐敗した町政粛正のため西村氏をリーダーとし、門下の同志中谷正次郎等と共にリコール運動を行う等実践面での指導をも受けた。また西村氏に随行して幣立神宮の月参りも欠かさず同人の歿後西村思想実践の一環として昭和四八年には幣立神宮の春木宮司指導の下に、日の宮(内宮)である同神宮に対する水の宮(外宮)として大観宮を設立し、また昭和四五年九月には被告人が中心となり、迫水久常氏の筆になる西村展蔵顕彰碑を建立している。
(三) 被告人は第二次大戦中予科練に入隊し、特攻隊を志願したが、出動直前に終戦復員し、第一生命保険相互会社に外交員として入社し、約二〇年間保険外交の道を歩んだ。その間保険制度の在り方に矛盾を感じ、保険会社が相互会社とは名のみで営利追求に汲々とし、保険は真に困窮する人達を救済するものでないことを痛感していた。
昭和四一年夏、宿痾の糖尿病が悪化して約一ケ月の間入院したが、その際借金苦による一家ダイナマイト心中事件、精薄児を養護している寺の住職が県当局に補助を求めて拒否された新聞報道を見たことを契機に、「金」のもつ力とその生かし方を考えさせられ、金がないために不幸である人達を救済する道はないかと西村門下の同志中谷正次郎に計り、偶々妻英子に見せられた誠相互経済協力会のパンフレットにヒントを得て天下一家の思想に立脚し、保険外交の知識を生かして掛金がそのまま生きて加入者全員の救け合いになる「親しき友の会」なる講の仕組みを発想し、その講を育成し、同時に会員相互更には、社会全般の福祉を図ることを目的とする第一相研設立の手続きを進め、「親しき友の会」のトップ会員九名の入会を得て、第一相研の発足をみたのである。
このように、第一相研は、天下一家の思想を基盤として思想面と経済面からの救け合い運動を目的とし、被告人、中谷正次郎及び「親しき友の会」のトップ会員九名が加入したことによって団体として成立したものである。
(四)、かように、第一相研は、天下一家の思想を基盤とし、会員の救け合い運動として設立され、発展したものであって、この思想なくして第一相研の存在はあり得ないのである。この天下一家の思想が第一相研の基盤であることを宣言した文書は、昭和四五年一二月上旬公表された「第一相互経済研究所主旨綱領」「中小企業相互経済協力会入会のすすめ」が始めてであるが、設立当初から、各講の仕組みを解説したパンフレットには、天下一家の思想の理念である「心、和、救け合い」の精神を織込み被告人はじめ第一相研幹部例えば中谷正次郎如きが、会員との対話の機会に「救け合い運動」の精神を強調しており、昭和四五年七月来訪された熊本税務署の中村茂隆調査官に対して、被告人から、第一相研は天下一家の思想により救け合い運動として運営しているものであることを強く訴えているのである。
(五)、第一審及び原審は、この第一相研の思想的背景を全く黙殺し、原審などは「被告人が天下一家の思想を唱え救け合いの精神を強調し、あたかも第一相研がこれらの理想を実現するための会員の結合体であるかの如く呼びかけたのは、被告人の事業の本質をカムフラージュし、これに対する世間からの批難を回避するためであったといっても過言ではない」などと認定しているのである。しかしながら、前記したとおり、この思想なくして第一相研の存在は有り得ず査察、被告人に対する逮捕、勾留、起訴と続く一連の弾圧、実態を知ろうとしないマスコミの批難、攻撃にもかかわらず、昭和四二年三月設立以来同五三年一一月法律によって禁止されるまで一一年余りに亘って第一相研の事業が存続し続けたのも、この思想的背景があったからこそである。原判決の右認定は、マスコミの風潮、批難などにまどわされて第一相研の実態を見誤ったものといわざるをえない。
2、第一相研の性格について
(一) 第一相研の性格については、要するに、設立当初から救け合い運動を目的とした団体であり、納付された入会金は団体である第一相研に帰属したものであって、被告人個人の収入ではなかったということである。このことは、前述したとおり昭和四二年七月第一相研の本部社屋となすべく、入会金によって買収した福田ビルの売買契約書、同追認書、不動産売買公正証書等において、会員代表が立会人となり、買主が「第一相互経済研究所親しき友の会代表内村健一」と表示され、被告人個人は連帯保証人となっていること等に端的に現われている。
(二)、そして、第一相研は設立当初より法人格取得を目指して熊本在住の楠本昇三弁護士に相談したり、熊本県庁の担当者等に相談したが、前例のない特殊な団体であり、或る時期からはマスコミの批判記事等の障害もあって公益法人とすることは極めて困難であると思料されたこと、さればといって会員相互の救け合い更には、社会福祉を目的とする団体であるので利益追求を目的とする株式会社にすることは許されないこと、結局、税法にいう人格のない社団が第一相研の完成図であるとし、これを目標とすることになり、先ず昭和四五年一二月初め、「第一相互経済研究所主旨、綱領」を作成し、全国各地に支部結成を推進し、昭和四六年六月一五日新社屋完成を機会に会員総代会を開催して法人化を具体化すべく計画していたのであるが、同月五日熊本国税局の査察を受け、全資産を差押えられたこともあって頓挫した。しかし、同月一五日全国より集合した会員三千名の強い要望に支えられて引続き法人化の努力を続け昭和四七年五月二〇日開催の会員総代会において「天下一家の会、第一相互経済研究所定款」が承認され、漸く法人化の目的を達したのである。この定款について注目すべきことは、
(1) 前文に「天下一家の思想は、故西村展蔵先生の創始にかかる宇宙一体の生命論に立脚する平和思想であるがその門下生であった内村健一は先生の董陶に基きこの思想を実現すべく同志中谷正次郎の協力を得て昭和四二年三月第一相互経済研究所を設立し、ついで天下一家の会を創立したものである。両者はまさに同体異名どおり友愛と信頼、親和の基盤に立つ真の福祉社会、相互が救け合い常に明るい平和な社会、真理を貫く社会を実現せんとするものである。
爾来心、和、救け合いの精神を基礎として広く同志をつのり諸施策の実現に努めてきたが、両者の団体としての実態を明確にし、より一属の発展を期するため、従来の綱領を整備し、本日ここに天下一家の会、第一相互経済研究所定款を作成するものである」とあり、第一相研の設立から人格なき社団完成まで整備の経過を明らかにし、この定款作成によって目標とする法人化が完成したことを宣言すると同時に昭和四二年三月設立された第一相研が昭和四七年五月二十日承認された人格なき社団第一相研に発展したものであることを明確にしていること
(2) 定款を承認した会員総代会を構成した会員は昭和四十七年五月十九日以前に第一相研に入会した会員である。
(3) 昭和四十七年五月十九日までに入会金によって取得した全資産を当然のこととして人格なき社団第一相研の基本財産に組み入れたことである。
右掲記の諸事実、特に定款の前文は被告人等第一相研関係者が第一相研は設立以来救け合い運動を目的とした団体であり、その団体が昭和四七年五月二十日人格なき社団になったものであること、換言すると第一相研は、五月二十日の前後を通じ同一の団体であることを確信し宣言したものである。
(三) 国税当局は、国税庁及び熊本国税局の担当官が二年余り第一相研の実態を調査された結果、昭和五十一年三月第一相研は人格なき社団に該当すると認定しその旨の通告があったので第一相研としては、これで法人化の目的を達したと喜び且つ安堵し爾来法人税を納付し続けたものである。
尤も国税当局は昭和四十七年五月十九日以前の第一相研が被告人個人の仮称であるとする考え方を変更した訳ではないばかりでなくその時代に取得した資産を基本財産に組み入れた行為は被告人個人から人格なき社団第一相研に対する贈与であるとして第一相研に贈与税一四億七六七一万円を賦課し(それも被告人個人の未納税一三億円余の徴収保全のため自ら差押えておきながら課税価格は差押えなき物件として評価している)更に被告人個人に対しては贈与は譲渡であるとして譲渡所得税を賦課するといった過酷なものであった。
(四) 以上の第一相研の歴史的経過からして第一相研は、昭和四七年五月二〇日会員総代会において定款が承認され国において人格のない社団として公認され、納税義務の主体となったわけであるが、同月一九日以前の第一相研は、形式的には未完成なものであるが、右公認された完成品としての人格のない社団になることを目指して形成、整備の過程は、漸進的ではあったが、被告人を代表者として国において人格のない社団と認めたその団体としての構成員であると同一の会員を擁し、熊本市内に事務所を構え、第一相互経済研究所の名称を掲げ、多数の従業員を雇傭し、税法にも該当するとされた事業を営み、且つ、財政的基盤も強化され、社会と直接に諸般の交渉をもつ社会学的実在として、その完成に向って前進していたのである。従って、同月二〇日以降と同月一九日以前の両者の関係は、人間の生長における胎児の如く、或いは、お玉杓子と蛙の如く完成した人格のない社団である第一相研の前身であり、いわゆる株式会社における設立の前後を通じての権利能力なき社団と株式会社との関係と同視されるべきもので実質的には同一であり、少くとも、同月一九日以前の第一相研も被告人個人とは別個の人格をもった団体であると認めるのが相当である。
3、被告人自身も、前記した第一相研の歴史的経過からして、第一相研は、設立当初から被告人とは別個の人格で、この被告人とは別個の人格である第一相研が事業を営むものと確信していたのである。従って入会金を個人の収入とは扱っておらず、個人の収入とは全く想ってもみなかったのである。被告人は入会金について、経済的利益を全く享受していなかったのである。このことは次の事実から明らかである。
(一) 前記したとおり、入会金によって取得した福田ビルについて売買契約書公正証書等において、その所有権は個人のものでなく第一相研に帰属することを公証している事実そして研修保養所の第一号として買収した玉名保養所についても同様の取扱いをしていること
(二) 福田ビルを含む全資産を昭和四七年五月二〇日人格なき社団として完成した第一相研の基本財産として組み入れている事実
(三) 検察官が被告人を逮捕勾留して調べても入会金から被告人個人の資産となった物が全くなかった事実
(四) 入会金によって取得された資産は第一相研の物であり、第一相研の会員の物であって被告人個人の物でないということを昭和四二年三月発足以来、被告人はじめ第一相研の幹部が機会ある毎に会員に対して語り続けてきたこと、然ればこそ、熊本国税局が第一相研は被告人個人の事業であるとして所得税法違反で査察しその納税保全のために第一相研の全財産を差押えたため会員代表数十名が同局更には国税庁にまで押しかけて「第一相研の資産は会員のものである。差押えを解除せよ」と集団陳情したのである。
(五) 生活費問題にしても、被告人は一家をあげて第一相研の発展のために奉仕してきたものであり、被告人自身は無給であった。必要な生活費を入会金から支出を受けたことは事実であるが、個人に対する仮払いとして伝票を起し、将来法人化した機会に創業費として清算する配慮までなされていたのである。その金額も、
(1) 昭和四三年度 入会金 六、七四七万余円 生活費二〇三万余円
(2) 昭和四四年度 入会金 六、〇六九万余円 生活費三三六万余円
(3) 昭和四五年度 入会金 三三億三、一五四万余円生活費四一七万余円
であり、入会金の額の対比において被告人の生活費の考え方が理解されるのである。
(六) 被告人の個人資産は、昭和二八年頃新築した甲佐町の住宅だけである。
4、原判決は、これに対して「第一相研には、定款がない、会員は社団の構成員とは認め難い。業務執行についての決定権を有する業務執行機関が存在しない。各会の考案、資産の購入、処分等が殆ど被告人の一存で決定されていた。入会金も被告人個人が管理し、全く恣意的に自己の生活費等に消費していた等、第一審の認定をそのまま踏襲して本件当時の第一相研は社団といい得るような実体を全く欠如していたことが明白であり、第一相研は被告人が本件各会を運営するうえでの名称にすぎなかったとして」第一相研の団体性を否定し、本件入会金は被告人の個人の所得と認定している。
(一)、しかしながら第一相研の団体性を否定し得るものでないこと前述のとおりであるが、原判決のいうところは帰するところ、民事上でいうところの権利能力なき社団を念頭においてこの成立する要件を否定することによって第一相研は社団といいうるような実体を全く欠如しているから、被告人個人の事業で、本件入会金は被告人個人に帰属すると認定しているにすぎない。
(二)、ところで、人格のない社団が納税義務者とされたのは、昭和三二年四月からであるが、それまでは、個人と法人だけが納税義務者であった。そして、右四月の所得税法及び法人税法の改正によって、人格のない社団は法人とみなす旨を定めて納税義務者となったのである。この法改正の経緯について簡単に述べれば、個人でも法人でもない団体… 例えば職場団体、業者団体、医療団体、PTA 同窓会等… が事業を営み収益をあげている事例が多発し、租税負担公平の原則に反するとの批判から、人格のない社団等の登場となったものである。しかし改正法審議の過程で大蔵委員長山本幸一議員から「人格のない社団等は近代社会において自然発生的にできた千差万別の団体である。この法律で把握することは非常に難しいのではないか、むしろ現実に利益を受けた個人に課税すれば足りるのではないか」との質疑があり、政府委員から慎重な運営が約束されていたのである。かように、人格のない社団が納税義務者となる旨の法改正がなされた時点から、千差万別に発生する団体について人格のない社団と個人との中間的な実在を納税上どう扱うかが問題点として残されてきたのである。その結果、国税庁は、運用面において昭和三三年通達直所一-四一-<1>、<4>をもって、人格のない社団の該当性の判定基準を形式にこだわらず、実質的に判断するよう、特に収益、財産の実質的帰属によって判断せよと指示したのである。
(三)、右人格のない社団等が納税義務者とされた経緯及び所得の帰属について実質的判断が要求されたことからして、形式だけをとらえて所得の帰属について、或る団体が、人格のない社団等としては要件が整っておらず不備である場合、その団体の代表者をとらえて、同人に何らの経済的利益の享受がないのに、その団体を運営しているという形式だけをみて、これを納絶義務者とするような安易な認定をするということは許されないことである。従って、本件当時の第一相研が、仮りに、民時上の人格の社団としての要件が不備であったとしても、だからといって納税義務者は、即ち被告人個人ということにすべきではなく、入会金の帰属主体を究明して、第一相研に対して人格のない社団としての納税義務を課すべきか、それとも被告入個人に対して納税義務を認むべきか、或いは社団と個人の中間的実在として納税義務の有無を実質的に且つ慎重に検討吟味する必要がある。言い換えれば、本件当時の第一相研が、民時上でいうところの人格のない社団に該当するか否かの面から検討するだけでなく、入会金の帰属者が誰れであるかを実質的な面から十分に検討し、帰属者が被告人個人であれば、所得税の問題、人格のない社団としては未完成な第一相研が帰属者ということになれば、直ちに第一相研に課税出来るかどうか、或いはその入会金が第一相研を構成する個人に配分されるまで課税を待つか、更には既定税法の枠外のものとして新らたな立法手当を要するのか否かを検当すべきであったのである。それが租税法律主義であり、租税負担公平の原則である筈である。原判決は、これらの検討を全くすることなく、現行法で納税義務者を人格のない社団と個人として、その中間に、千差万別に実在する団体について何ら規定していないところから、無理矢理に第一相研を、個人と認定したといわざるをえないのである。
(四)、なお、原判決が団体性を否定する事実として掲げた諸点のうち、「会員は社団の構成員とは認め難い」との点について一言附言しておく。
前記したとおり、昭和四七年五月二〇日以降の第一相研の性格については、国税当局において綿密なる調査をなした結果、人格のない社団と認定して第一相研に対して法人税を課税してきているのである。而して、同月二〇日以降と同月一九日以前の第一相研の会員は何れも第一相研の運営するいずれかの講に加入して第一相研に入会金を納付したもので、その実態については全く同一であって、同月二〇日以降の人格のない社団の構成員はこれらの会員であって会員が構成員であることは国税当局によって認められているのである。従って、原判決のいうように「入会者は被告人の事業の客であり、このような会員を団体の構成員とすること自体に無理がある」というのであれば、同月二〇日以降の人格のない社団の構成員である会員の立場を否定することで、第一相研は一人も構成員の存在しない社団ということになり、構成員の存在しない社団などが存在する筈はないのであるから、原判決の認定は国税当局のこれまでの行為ひいては国の行為を全て否定し去ることになる。第一相研は、国が、第一相研は人格のない社団として納税義務の主体であると認定したことを了として従い、実に本税だけでも八四五、八五九万円余の法人税を納付してきたのが、その後の裁判によってその根底から覆えさせられるということになり、国が法人税として徴収した右課税は一挙にその根拠を失うことになる。一つの事実に対してかように後日全く相反する認定をされては、これまでそれをもとに行動していた当事者にとっては、何を信頼して行動していけばよいのか、法秩序のうえからも耐え難いことである。このことからしても原判決の不当性、正義に反することが窺い知れるのである。
第二点、本件逋脱犯の不正行為について
弁護人の上告趣意は、前掲第一点の主張でつくしたところであるが、原判決には逋脱犯の構成要件である不正行為に関しても最高裁判所判決、決定に牴触するものがあるので以下上申する。
一、先ず原判決は
昭和四五年七月熊本税務署の小畑調査官等が第一相研に臨戸して被告人に質問した行為 昭和四六年三月一五日同税務署副署長柳田泰信が第一相研を訪ね被告人に対し第一相研の事業は被告人個人の事業と考えられるからと申告を慫慂した際同人等の間で交された応答、
は税に関する国の調査にあたり、その調査においてなされた被告人の答弁は所得税逋脱犯の構成要件である不正行為の対象となると判断されたが、国税調査に関する右判断は昭和四八年七月一〇日最高裁判所第三小法廷の決定によって示された質問検査権行使の要件についての判断に牴触する。
(一) 御承知のように税法が認める国税調査としては通常調査と犯則調査があり、前者は所得税法第二三四条(以下法第二三四条と略称する)等の基定に基づくものであり、後者は国税犯則取締法に基づくものである。
法第二三四条による通常調査は所得金額、または課税標準の確定を目的としたものであり、調査実施については相手方である納税義務者等の承諾を必要とする任意調査であるとされている。しかし調査を行うについては承諾を要するが相手方は税務職員の質問に対して真実応答の義務を課せられ、検査の要求にはこれを拒絶し得ない受忍義務を課せられ、その義務に違反するときは罰則の適用を受けるという間接強制力をもった公権力の行使なのである。従って調査に赴く税務職員は身分証明書の携帯を義務づけられている程である。この通常調査の根拠規定である法第二三四条の運用については長い間混乱があり、昭和四七年一一月二二日最高裁判所大法廷の判決によって欺く憲法違反の問題が解決し、昭和四八年七月一〇日最高裁判所第三小法廷の決定(刑集二七巻七-一二〇五)によって質問検査権行使の要件範囲等について詳細な判断が示されたものである。その判旨によると
(1) 質問検査権の行使は、客観的に必要性ありと判断されることを必要とし、且つ相手方の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度にとどまることを要する。
(2) 歴年終了前の質問検査は法律上許されないものではないこと
(3) 質問検査の事前通知、調査理由、必要性の個別的具体的告知の如きも法律上一律の条件ではないこと
(4) 質問検査の対象者として
「納税義務ある者」とは課税要件が充たされて客観的に所得税の納税義務が成立し、いまだ最終的に適正な税額の納付を終了していない者および当該課税年度が開始して課税の基礎となるべき収入の発生があり、将来終局的に納税義務を負担するにいたるべき者をいい
「納税義務があると認められる者」とは、税務職員の判断によって右意味での納税義務がある者に該当すると合理的に推認される者をいう。
としており、調査の必要性の判断を税務職員に認めながらも、その権限行使には客観的必要性、私的利益との衡量、法律上一律の条件ではないと弾力性をもたせながら調査理由や必要性の告知を求め、質問検査の対象者について定義づけをする等慎重な配慮を要求しているのである。
ところで行政活動の実情として右の如き税法上に根拠のある調査の外に、税法上に根拠がなくとも非権力的に任意的な手段で働きかけて相手方の任意の同意が得られたときは、税務に関して調査することは許されることであるとしてこれを行政指導と称し実施していることである。この場合は相手方の同意があることであるし、罰則の裏付けのない調査であるから相手方は真実応答の義務もなく、受忍の義務もなく調査を拒否しても不利益を受けることはないことから違法ではないとしているようである。しかし実際問題として、法第二三四条の質問検査も行政指導と称する調査も、実施の形式は同じ任意調査であり、いずれの調査であるかを告知することなく実施されると調査を受ける立場の納税義務者にその点を弁別して調査に同意するか否かを決定することを期待することは不可能を強いるものであり税法上の根拠なき調査を許し税務職員の調査をそこまで拡大することは害多きことを知るべきである。その調査権は課税の要件の法定とともに、法の認める範囲で、法の認める手続きにより行うよう限定すべきである。納税指導に名をかりた調査、殊更に法律上の調査に仮託した調査は違法なものとして許すべきでない。それが公権力を行使するものの姿勢でなければならない。なお本件調査は右判決決定のなされた以前のことであり、国税当局は積極的な姿勢で調査活動を行わんとし、納税者はその姿勢に抵抗した混乱期の事案である。
(二) そこで国税当局が第一相研に対しどのような姿勢で調査を続けてきたかを明らかにする。
(1) 国税当局が第一相研に対し調査らしい行動を開始したのは昭和四二年七月二七日からのことである。それは新聞社から、熊本国税局直税部法人税課課長補佐柳田泰信に対して第一相研の実態について照会があり、柳田は熊本税務署の井之原法人税課長に同課長は部下の機動調査係長宮本富治夫に第一相研の実態調査を指令した。同係長は七月二七日熊本市本山町所在福田ビル内の第一相研西部支所を訪ね支所長津崎季賢に対し「第一相研は個人であるのか、法人であるのか、従業員に対する給与の源泉徴収はどうなっているのか、西部支所のある福田ビル入手の事情」等を質問したのがはじめてのことである。当時西部支所は開設後間もない時であり、就任後間もない津崎支所長の答弁は「第一相研が運営している講はネズミ講のようなものであり、会員は増している。支所に帳薄はなく、給与の源泉徴収はしていない、万事甲佐の本部でないと解らない」旨不得要領のものであり、そこで宮本係長は甲佐本部の内村所長に電話して源泉徴収の有無を尋ねたところ「委嘱されて会の金を給与しているので源泉徴収の必要はないと思う」旨の答弁であった。同係長はその程度で調査を打切り井之原課長に「第一相研の実態はよくは解らないが、現況でみると個人ではないかというような感じがするが時期をみて再調査した方がよい」と報告した。
柳田補佐は、井之原課長の報告を受け、「第一相研は個人のようである」とのことであったので法人税課の所管でないと判断し所管の局所得税課へ報告するよう指示して終ったというのである。
宮本係長は引続き同じ地位に勤務していたのであるが、同係長を含む熊本税務署としては、その後四五年七月まで第一相研に対して調査した事績は全くない。
(2) 創立当時の第一相研は御船税務署管内にあった。
同署直税一係長木水豊彦は、四二年七月二九日付の西日本新聞に掲載された第一相研に関する記事をみて
「会員から納付される入会金は所長内村健一の所得になるのではないか」と関心をもち、部下の調査官古閑三興に第一相研の実態調査を命じた。原審公判における被告人の陳述によると、
「古閑という署員は何回か本部にみえた。第一相研の性格、講の仕組み、入会金の性格等について詳しく説明し、その時は解りましたと署に帰って上司に報告するが、上司の理解が得られないと同じことを何回も説明させられたということである。更に四三年三月の確定申告を控えて甲佐の町役場に呼出され、納税相談ということで御船税務署の担当官に古閑の場合と同じような説明をさせられたが、理解できなかったのか同月一四日御船税務署に呼出され係官との間でこれまた同旨の問答をくり返した。結局第一相研の事業について納税義務があるのかないのか、結論が得られず、四二年度の確定申告は被告人の保険外交の手数料収入だけを申告するよう指示されて確定申告したが税額零であったのでその後暫くして手数料収入の源泉徴収分を還付された」とのことである。
四四年二月被告人は住居を甲佐町から熊本市内に移し、第一相研の事業は福田ビルを本部として運営されるに至ったところ、同年四月御船税務署の木水係長から呼出しがあり、被告人所用のため津崎季賢を代理として出頭させ同係長の要請により第一相研の入会金の性格を収支明細書に基づき説明したが、その際「税務署としては第一相研に課税する方針であるのかどうか、課税するとしたらいかなる税種、所得であるのか教えて欲しい」と質ねさせたところ、同係長は「署としては現段階では課税するかどうか判らないから後日連絡する」とのことであった。
木水係長は、その直後熊本国税局直税部に対し、被告人が熊本市内に転居した旨報告した。同係長は同年七月の異動で熊本税務署の所得税係長に就任したので再度被告人関係の所得税調査を担当する地位についたが、第一相研について全く関心をもたなかったというのである。
(3)、被告人は原審第七回公判において昭和四五年七月までの第一相研に対する国税当局の調査態度について述べているが、御船税務署の場合も熊本税務署の場合も、尋ねる人は異っても質問することは「第一相研は個人であるのか法人であるのか、会員が納める入会金は誰に帰属するのか」をくり返すだけであり、被告人としては小畑調査官等に述べたと同様の答をその時に応じていろいろな角度から理由をつけて説明したがその間国税当局の見解として第一相研の事業は被告人個人の事業とみるか第一相研の事業とみるか等について明示されたことは一回もなく、前述した御船税務署木水係長の「第一相研の入会金について課税するか否か現段階では判らないから後日連絡する旨」の約束は遂に回答なく終ったとしている。こうした経過からみて国税当局の四五年七月までの調査なるものは第一相研の実態をどう理解しどう扱うべきかの課税問題判断の前段階である基礎的な調査の反覆であり、しかもその調査態度は御座成りで無責任で前記最高裁決定が示された相手方の私的利益との衡量を考えるといった配慮は全くなく納税指導に名をかりた違法な調査であったと認められるのである。
(4) 次に本論である昭和四五年七月調査が前記最高裁決定の要件を充たしていたかを検討する。
第一相研に対するこの調査を指揮した柳田副署長は、第一審公判においては
第一相研の実態を調べ内村の所得がどうなるのか、会員相互間の贈与金がいかなる所得になるのか、従業員給与の源泉徴収について調査するよう指示した
と証言し、原審公判においては
調査官に第一相研の実態を調査するよう指示したが、実態調査とは所得調査に入る基である
と証言しており、その証言どおり実態調査であり特定納税義務者の所得金額や課税標準の確定を目的とする質問検査権の実施としての調査でなかったことは、小畑調査官等が調査結果をまとめたものである報告書(四五年七月三一日付熊本税務署長より熊本国税局長に宛てた第一相互経済研究所(内村健一)の調査資料送付と題する報告書 同年九月五日付同様署長より局長に宛てた第一相互経済研究所の調査事績送付と題する報告書―別添(写)(五))の内容によっても裏付けられる。
要するに右調査着手当時熊本税務署としては過去に調査といい得るような実績もなく、第一相研の実態は皆目不明で誰が納税義務者であるか等特定し得る状態になかったのである。なお調査に際して小畑調査官等が被告人に対して、法第二三四条の調査であるのか、行政指導としての調査であるかを説示した事実はなく、被告人としてはただ恐ろしい権限をもった税務署のお調べと理解して小畑調査官をきっかけとして四六年三月まで執拗にくり返された調査に対して一言の異議も述べずこれに応じたのである。
かかる調査は違法なものであり、その調査の機会にいかような質問応答がなされたとしてもその内容が評価される前に、調査自体無効なものとしてこれに税法上の効果をもたせることは許されないことである。
(5) 四六年三月一五日は四五年度の所得税確定申告の最終日である。
この日柳田副署長が第一相研を訪問した目的は、第一相研の納税問題を円満に処理するため被告人個人として申告方慫慂することにあったことは同副署長が第一審、原審をとおし一貫した証言である。
これを税務調査であるとは牽強附会も甚しい。
(6) これを要するに、右調査は調査権限の根拠も示さず、調査の対象として「納税義務ある者」または「納税義務があると認められる者」を特定し得ない調査であったものを、国が乗出した調査である等と恰も適法な調査であった如く認定しその機会における被告人の答弁を逋脱犯を構成する不正行為にあたるとした原審の判断に牴触するものと思料する。
二、次に前記小畑調査官等の臨戸質問に対する被告人の答弁内容及び被告人の四五年度の所得税確定申告が、逋脱犯を構成する不正行為にあたるとした原判決の判断は、最高裁判例の判旨に牴触する。
(一) 原判決は
昭和四五年七月二四日頃から小畑和生等税務職員が第一相研に出向いて質問したのに対して被告人は「第一相研は法人でもなく個人でもなく、その財産は会員のものである。入会金は会員に帰属するものであって被告人個人の所得ではない。被告人は営利事業を営んでいるものではなく、会員相互の救け合い運動を行っているものである旨」申し立て、
昭和四六年三月一五日頃、熊本税務署副署長柳田泰信が第一相研は被告人個人の事業と考えられるから確定申告するよう慫慂したにも拘らず被告人は前同旨の申し立てをくり返し、
更に被告人は前同日熊本税務署長宛に四五年度の被告人の所得は家賃収入三六万円だけである旨の確定申告書を提出したが、右申し立ておよび確定申告の内容は虚偽と認められること被告人は真実の所得(入会金)を隠蔽し入会金が課税対象となることを回避するため右虚偽の申し立てをなし、虚偽過少の確定申告書を提出したものと認められるので、かような過少申告自体不正行為にあたると解するのが相当であるとして最高裁第三小法廷の昭和四八年三月二〇日付判決を引用し、被告人の調査に対する虚偽の申し立てと過小申告を一連の行為として不正行為に認定した第一審判決には誤りがないとしている。
(二)、原判決引用の最高裁判決は(昭和四八年三月二〇日最高裁第三小法廷判決、刑集二七巻二-一三八)
所論引用の当裁判所昭和四二年一一月八日大法廷判決は「所得税、物品税の逋脱罪の構成要件である詐偽その他不正行為とは、逋脱の意図をもって、その手段として税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作を行うことをいうものと解するのを相当とする」とし、従ってかかる工作を伴わない単なる所得不申告は右「不正行為」にあたらない旨判示しているところ、真実の所得を隠蔽し、それが課税対象となることを回避するため、所得金額をことさらに過少に記載した内容虚偽の所得税確定申告書を税務署長に提出する行為自体、単なる所得不申告の不作為にとどまるものではなく、右大法廷判決の判示する「詐偽その他の不正行為にあたるものと解すべきである。
と判旨している。
原判決は右判決の判旨をそのまま借用説示しているのであるが、問題は「真実の所得を隠蔽しそれが課税対象となることを回避するため」の意義をどう理解するかである。
即ち隠蔽とは「租税を逋脱する目的をもって故意に収税官吏に対し、納税義務発生原因たる計算の基礎となる事実を隠匿し、収税官吏の調査を妨げて納税義務の全部または一部を免れる行為をいう」と解されるのであって、この判決自体四二年一一月八日の大法廷判決にある「逋脱の意図をもってその手段として税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作を行うことを要する」旨をかぶっていると解すべきである。ところで右最高裁判決の対象である事実は、
株式会社が保有する薄外資金から金員を受給していた者が、薄外の事実を知っていたため、公表すべきでないと考え、自己の収入から薄外分を除外し、過少の確定申告をなし所得税を逋脱したというものである。同人としては過少申告以外に不正行為にあたる事実はなかったようであるが、支給会社に不正経理による資産隠匿の不正行為があり、それに便乗して自己の受給事実も秘匿して申告したものであり、その過少申告の行為自体支給会社の不正行為と相まって収税官吏の調査を妨げ税の賦課を著しく困難ならしめるものであってそれは四二年一一月八日の大法廷判決にいう偽計工作に当るとの判断になったものと理解されることである。もし支給会社が正規の経理処理による資金で支給したとしてその事実を知りながら受給者が自己の収入から除外して申告したと仮定した場合形式的には同じ過少申告になるが、支給した事実は会社の源泉資料箋等により容易に収税官吏に判明することであり、その場合には過少申告だけで大法廷判決にいう税の賦課を著しく困難ならしめる偽計工作に該当するとはいい難いであろう。
要するに第三小法廷の右判決も過少申告があったというだけでは不正行為にはならないのであってその申告行為自体が正当な所得を把握することを不能もしくは著しく困難ならしめるものでなければならない趣旨と解すべきである。
(三)、ところで昭和四五年七月から八月にかけて小畑調査官等と被告人との間でかわされた質問答弁であるが、小畑和生の原審における証言、中村茂隆、島崎釈翁の第一審における証言、同調査官等が調査の結果をまとめたものである前掲七月三一日付報告書、同じく九月五日付報告書の内容を綜合すると、被告人が調査官に対して陳述した内容は、
第一相研について設立の動機、目的から天下一家の思想に基く救け合い運動であること、その従業員の数、四二年三月以来の入会会員数、入会金の概算合計額、入会金による資産取得の状況、預金関係、人件費等について説明し、第一相研は登記ができないので法人ではない、しかし内村個人でもないと強く主帳した
ことが認められ、更に原審における被告人陳述はその間の事情について
調査官から「法人でなければ個人である」といわれたが、被告人の認識では第一相研は被告人個人の商売、金儲けでやっていることではないので個人でないことを強く訴え、入会金は第一相研のものであり、入会金で講入した資産は全部第一相研会員の総有物である。ただ不動産等の登記については登記法上の制約で第一相研の代表者である被告人個人の名義で登記せざるを得ないので個人の資産と間違はれては困ると思い、公正証書まで作って登記は個人名義でするが実際は第一相研の所有物であることをはっきりさせたものである旨、説明し、その証拠として福田ビル買収について作成した前記公正証書を見せた
としている。
入会金によって買収した福田ビルが第一相研の所有に帰属するものであるということは、入会金は第一相研に帰属するということであり当然の帰結として被告人個人の所得になるものでないことが明らかとなる。これが報告書に記載されている第一相研は登記ができないので法人ではない、然し被告人個人でもないという主張になったものと認められることである。
前記公正証書(四二年八月一四日作成)の前提になっているのが不動産売買契約書(四二年七月一〇日作成)、不動産売買契約追認書(四二年八月八日作成)であり、いずれも第一相研の会員代表として本田敏雄(後に第一相研の理事に就任)東大森政生、職員代表として中谷正次郎(後に第一相研理事副会長に就任)が、それに桜木岩夫(売主福田部品の経理担当者であり、後に第一相研の経理部長に就任)が立会人として署名しており、特に追認書は同年七月下旬から各新聞が一斉に第一相研の業態を批難攻撃する記事を掲げたため入会者が激減し、当初契約の支払条件を変更するのやむなきに至ったものであるが、それについて八月八日午後四時から福田ビル一〇三号室に売主福田部品代表者福田幸生、買主第一相研代表者内村健一、立会人として前記本田敏雄等四名が会合して追認条項として支払条件を緩和し売主側の要望で被告人個人が代金支払いについて連帯保証人になることを決定し全員署名したことが明らかにされているのである。
更に前記九月五日付報告書をみると
(1) 第二問答において第一相研に入会した会員は、満額受領して講から抜けた後も会員の資格は継続するものである旨の記載
(2) 第一四問答において、講の満額受領に至るまでには予測し難い期間を要しその間種々の経費を必要とするので、そうした未払経費の把握が困難であり、事実上決算を組むことができない旨の記載
(3) 第一八問答において、今後は相互会社の方式をとり、各県単位程度に役員を選出して運営することを考えているが、現在まではそういうものがなく積上方式をとっているので成り行きにより相手より出たものを答としている旨の理解し難い記載があるが、この点について被告人は第一審第四五回公判において
「相互保険会社の社員総代のような代表を全国各都道府県から会員数に比例配分して代表を選出しその代表で予算決算を審議する総会を開く相互保険会社の組織を頭に描きながら実体を先にし形式を後から整備することを考えていた旨、そして現在まではそういう形ができないが、来訪した会員から意見を聞いてその意見を汲みあげて意思決定をする方式で行っている」旨(446・490~493)陳述しているので報告書の記載は同旨の説明を文章化ししたものと思料される。
等の記載がある。
被告人は小畑調査官等の質問に対して第一相研は西村思想に基盤をおく会員相互の救け合い運動を目的とした非収益団体であること、会員から納付される入会金は出資金のようなもので第一相研に帰属し被告人個人に帰属するものではないこと、そのことは福田ビル買収の経過、契約書によっても明らかであること、入会金の入金状況、入会金による資産取得の状況、入会金管理の方法としての予金の概況等について説明したことが関係人の証言陳述、調査官が作成した報告書の記載によって十分に認められるのである。
そして原審において小畑和生証人が被告人の答弁にして虚偽と思えるものはなかったと結んでいることが印象的である。
四六年三月一五日柳田副署長が第一相研を訪ねた目的は被告人をして第一相研の事業を自己の個人事業と認めさせ入会金収入を被告人の個人所得として申告してくれるよう説得することにあったのである。これを申告慫慂と表現したものであるが税法上に根拠のない納税指導と称する行政行為である。然し個人事業として申告せよといわれても当日は確定申告の最終日である。時間的に不能を強いることであり、悪意に解すれば、第一相研に対して国税当局の見解なるものをはじめて示すことになり、後日の強制調査の足場をつくったとも推察される。いずれにしてもこれを国が乗り出した調査などといい得る代物でないことは明らかである。
また同日被告人が熊本税務署長に提出した確定申告書は同人所有の甲佐町所在住宅の賃貸収入を申告したものであり、申告書に記載された内容に虚偽はない。この申告書自体は第一相研の入会金収入に全く関係なく、入会金収入の把握確定についてはプラスにもマイナスにもならない文書である。第一相研は被告人個人からみれば別個の人格であり、その事業は被告人個人の事業でないことを確信する被告人としては当然の申告である。
原判決は、被告人が第一相研の入会金収入を隠蔽し課税対象とすることを回避するために、虚偽の答弁をし虚偽の申告をしたといわれるが、前掲したように小畑調査官等に対して被告人は四二年三月第一相研創立以来の入会会員の数を講別に説明し入会金の概算合計額、入会金による資産取得の状況等を含めて第一相研の実態を、四日間に亘り事務極めて繁忙の中、毎日三、四時間の時間を割き一部は資料まで提示して詳細な説明をしたことは調査官作成の報告書だけみても認め得るのである。要するに、昭和四八年三月二〇日の第三小法廷判決は、四二年一一月八日の大法廷判決を受けたものであり、大法廷判決にいう「逋脱の意図をもってその手段として税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作に当るものでなければ不正行為にはならない」と解すべきであり、第三小法廷判決が「所得の隠蔽、課税所得たることの回避」と表現したのはそれが賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめる偽計工作に当る意味であったものを、原判決は漫然国の調査における答弁が虚偽であったとか、申告が虚偽であったというにとどまり、それが税の賦課をどのように困難ならしめたかの検討もなかったことは右判決の判断に牴触するものであり、破棄を免れないものと思料する。
第三点、原判決の刑の量定に対する考え方は甚しく不当である。
一、本件は所得税法違反の事件である。
所得税法は本来国民各人がその経済的能力に応じてこれを負担すべき性質のもので、経済的成果の実質的な享受者が納税義務を負うこと、それが租税負担公平の原則にそう所以と解されている。
前掲第一点縷述のとおり、本件における経済的成果の真の帰属者は少くとも被告人個人でなかった。検察官が全国的規模でしかも八ケ月間の長期に亘る強制捜査を実施したにも拘らず把握し得た被告人個人の資産は昭和二八年甲佐町に新築した木造住宅一棟と若干の予金(長男内村文伴、同講男、同伴子名儀ノ定期預金合計一三〇万円)だけであった。第一相研関係の資産にも隠蔽仮装はなく容易に洗い出すことができた。脱税事犯によくある預金や資産の架空名儀、第三者名儀のものは一件もなく、不動産は総て福田ビル、玉名保養所同様の登記がなされていた。そしてこれ等の資産が第一相研のものであることは会員間においては公知の事実であり、その総てが四七年五月二〇日人格なき社団として認知されたとき第一相研の基本財産に組み入れられたのである。
被告人は信奉する西村思想を懸命に実践しようとしたのである。マスコミがいかように批判し批難しようとも肥後モッコスの典型的な彼はびくともしなかった。その被告人を会員は信じ且つ支持した。第一相研の不死鳥の如き生命力はそこにあった。第一相研の基盤に西村思想がなく、代表者が内村健一でなかったら恐らく当局の計画どおり四六年六月五日の査察で第一相研は潰滅したであろう。
原判決は、この被告人個人に納税義務ありとし、懲役三年(執行猶予三年)罰金七億円の刑を言渡した第一審判決を支持された。懲役三年に対して執行猶予期間三年という判決はある意味では評価するが、それで解決し得る問題ではない。また租税事件の罰金は、被告人死亡後はその相続財産に対して執行できる(刑事訴訟法第四九一条)帰属した経済的成果をあの世まで追及する特殊性、逆にいえばその帰属なき被告人に七億円の罰金とは刑の意味を理解しない甚しい量刑不当といわざるを得ない。
二、破産宣告と入会金の所得性について、
(一) 福岡高等裁判所は、被告人内村健一に対する破産申立事件において、
第一相研とは内村健一が本件各講を運営するに際しての事業下の別称であり各講契約は公序良俗に反するもので無効である。してみると本件各講の会員がその加入時に支出する金員の内第一相研宛送金した入会金については返還を受け得ることについて疑問はない。先順位会員へ贈与した金銭についても第一相研に対して返還を求め得るものと解し得ないでなく、また本件資料から直ちに疎明十分といい得るかは疑問であるが内村健一の行為を不法行為として把えるにおいては贈与金につき損害賠償の請求が考えられないではない。
とし、第一相研に対する
入会口数合計は 一、四九三、九三〇口
入会金合計は 四七五億三、五七二万円
贈与金合計は 二、二〇七億三、三七二万円
あると認定の上、内村健一に対し破産を宣告した原決定を支持して即時抗告を棄却し、最高裁判所も右決定を支持されて昭和五十五年九月二十五日特別抗告を棄却し、現在破産手続は進行中である。
(二)、右破産宣告の特別抗告の棄却により、昭和四十二年三月設立以来第一相研に納付された入会金合計四七五億三五七二万円は講契約無効のために不当利得として全額返還すべきことが確定した。そこで入会金を唯一の所得として被告人個人(昭和四三年度から四七年五月一九日まで)並びに人格なき社団第一相研(昭和四七年五月二〇日以降)に対し、課税された熊本税務署長の所得税並びに法人税の更正または決定の処分は、課税の基礎をなす入会金が所得でなかったことに確定したのであるから国税通則法第二十三条第二項により取消されることになり、右納付税金は全額還付されることになる。
従って本件所得税逋脱の事実も課税の基礎を失うことになる。
(三) この点についてこれは事業所得の担税力調整の問題であり、所得税法第五十一条第二項、同第六十三条の適用でるから国税通則法の適用はなく本件逋脱事件の昭和四十三年度乃至同四十五年度の所得については右六十三条の適用で更正または決定の取消問題はあり得ないという考え方があるようであるが(原審における国税庁勤務野水鶴雄証人の証言)所得税法第五十一条二項の措置は事業として行われる大量の反覆継続される取引のリスクとして発生する貸倒れ、値引これに準ずる程度の損失について納税者の立場からは年度は異っても損金として所得調整の目的に合致し且つ事務負担の軽減というメリットもある。また国税当局としても確定している過去の課税を修正する手数を省けるという一石三鳥にも通ずる便法として認められた制度と解するのが相当である。国税庁直税部長水口昭監修の所得税法基本通達遂条解説(大蔵財務協会発行昭和五十三年版)はその三四六頁において「無効行為により生じた損失を何れの期の損金にするかは課税の安定性と所得調整の兼合いの問題である」とし、更に「所得税法が事業所得については毎年経常的回帰的に発生する所得であるので過去の年分にそ及せず損失の生じた年分において所得金額を調整し過去の年分の課税の安定性を尊重し(法第五十一条二項)事業外所得については毎年経常的回帰的に発生する所得とは限らないので、損失の生じた年分において所得金額を調整することができない場合が生ずるので過去の年分の所得を訂正しようとするものである旨解説している」(該当部分コピー添付)
(四)、第一相研の場合は、所得源泉の一〇〇%をなす入会金収入が裁判によって全額所得性を失ったのである。野水証言もさすがに第一相研の入会金については異質であると証言しているのであって所得税法第五十一条二項同六十三条の適用外と解するのが相当である。従って本件は破産宣告の確定を理由として国税通則法二十三条二項を適用し破産管財人より熊本税務署長に対し前記決定更正の取消を求め、よって第一相研より納付した国税合計一一七億円余りを破産財団に還付し、被告人に欺まんされたものであるという第一相研の全会員に公平に配当する資金となすべきである。野水証人の解釈が正しいことになると納付した税金の大半は国税として留保されることになり、被告人や会員の犠性によって国が不当利得することになる。
(五)、国税通則法第二三条二項によって先になされた更正又は決定が取消された場合について、同法第二九条三項は「更正又は決定を取消す処分又は判決は、その処分又は判決により減少した税額に係る部分以外の部分の国税についての納税義務に影響を及ぼさない」と規定しており、取消された更正又は決定の効力はその行為時にさかのぼって失はれるものと解される。
従ってその対象とされた所得や税額も更正決定時にさかのぼってなかったことになると解すべきである。
(六)、そこで右事実が本件逋脱犯にどう影響するかである。
原判決は「各課税年度ごとに確定申告義務が被告人にあったことであるから後日入会金の返還が民事上強制されたからといって被告人の右義務が遡及的に消滅するとは到底考えられない」としている。
しかし所得なきところに課税なしといわれている。決定更正の取消しによって課税がなくなっても脱税は残るのであろうか、そして一度成立した逋脱犯には何の影響もないのであろうか、
先ず所得税法第二三八条第一項は、逋脱犯の刑を三年以下の懲役もしくは五百万円以下の罰金とし第二項で免れた所得税の税額が五百万円を超えるときは罰金の額を右税額相当の金額以下とするとしており、本件は第二項の適用であった。そうなると四五年度について行った熊本税務署長の更正処分が取消されることによって免れた所得税の額が変り従って第二項の法定刑は変更される筈であり影響なきを得ない。
更に、無効行為に基づく収入の所得性であるが、昭和四六年一一月九日最高裁判所第三小法廷判決(民集二五巻八-一一二〇)は「無効行為に基づく収入は所得税法上の収入すべき金額に当らない」としていることである。即ち
利息制限法による制限超過の利息、損害金は、その基礎となる約定自体が無効であって約定の履行期の到来によっても利息、損害金債権を生ずるに由なく
としており、
本件第一相研の入会金も、前記破産宣告によって無効契約に基づくものとして元来所得性なきことを確認されたものである。
三、破産手続は、破産宣告をされた熊本地裁民事第三部の監督下において、破産宣告の日までは破産申立の代理人であった管財人によって着々否認権行使の手続が進められ、その裁判は右第三部の担当で進行しているので遠からず債権届出をした極く一部の会員(裁判所認定の入会総口数一、四九三、九三〇口、五六年一二月二二日一日現在債権届出口数六四、六〇二口)第一相研の全資産が被告人個人の甲佐町の住宅とともに換価配当されることになるであろう。
第一相研は敗戦後の日本の姿よろしく着々解体されつつある。第一相研が社会に害毒を流す存在として批難されることに対して被告人なりの言分はあるようである。それはそれとして第一相研発足後十三年目にして漸く成立した連鎖講防止法に対して第一相研は忠実にこれを守り、一糸乱れず講活動を停止した。
今や被告人は裸一貫である。罰金七億円の刑は七〇〇日間の労役場留置を意味する。本件は所得税法違反である。被告人に経済的成果の享受があったか否か、本件については、前掲第一点主張のとおり無罪を確信するものであるが、所得税法の法理論だけから考えてみても原判決は刑の量定に対する考え方が甚しく不当でありこれを破棄しなければ著しく正義に反するものと思料したので特に付言した。